トップ > 月と竜
月と竜
都会の公園の片隅に池がある。清水が湧く小さな池だ。満月の晩、若い男が池にやって来て空き缶を投げ捨てる。すると池の中から天を突くような竜が現れた。驚いた男は地面に尻餅をつく。竜は男を見下ろしながら地響きのような太い声で話しかけた。
「よお!」
「わっ、わっ、わっ」
「私は誰でしょう?」
「竜、だよね」
「正解!」
「俺を殺すのか?」
「なんで君を殺さなきゃならない?」
「空き缶を捨てたからだ」
「ん?」
「ごめんなさい」
「なんで謝るんだ?」
「えっ?」
「ほらっ、もう何処かへ行け!」
「えーっと。そうしたいんですけど、腰が抜けて……」
「動けないのか?」
「お願いだから殺さないでくれ。火を吹くんだよな? 嫌だなー、そんなの」
「君は西洋人か?」
「日本人に見えない?」
「最近、分からん。日本人なら火を吹くなんて言わないはずだぞ。雨を降らすとは言われたな」
「雨を?」
「雨って言うのは、あれだ。空気中の水蒸気が空の高い所へ昇っていくと気温が下がるので……」
「そう言う事じゃなくて。雨を降らす事が出来るのか?」
「無理。ただの言い伝えだ」
「姫を連れ去るってのも?」
「なんだそれ?」
「勇者に退治されたりしたんだろ」
「それは西洋の話じゃないのか? まあ、日本にも退治する話はあるが」
「そんなに恐ろしい姿をしてるんだから、退治されてもしかたないよ。俺は出来ないけど」
「日本人は、なんだかんだ言っても、私と共に生きてきたんだよ」
「なるほど。その気持ち、竜を目の前にしている俺には良く分かる。でも、今は……」
「まあな。それでも、役に立たない都会の小さな池が残っているって事は、日本人の心の中に脈々と伝わる自然に対する畏怖が、そう簡単には消えないって事だよ」
遠くにキョロキョロと周りを見回して歩く人影が見える。男は人影に目をやる。
「あっ、美香!」
「彼女か?」
「ああ」
「おいおい。アジアン・ビューティーだな。彼女と話したいな」
「えっ?」
「ここは昼でも薄暗いから、女の子は寄りつかない。またには女の子と話したい。どれくらい付き合ってんだ?」
「一週間前に告白したばかりなんだ」
「キスしたのか?」
「それがまだ」
「なにやってんだ。こんな月夜の晩にデートすんだから、彼女、期待してるぞ」
「そうだよな」
女の子が小走りに近寄ってくる。
「ねえ、なにしてるの?」
「なにって……ほらっ、あそこ!」
「月、見てたんだ。綺麗」
「……」
「誰もいないね」
「……美香」
月明かりに照らされた二人の姿が重なる。
「ちょっと先に行っててくれない。直ぐに行くから」
「うん」
楽しそうに、恥ずかしそうに女の子が離れる。男は竜を見上げて言った。
「美香、気づかなかった」
「ああ、残念だ。スイーツの話とか、したかったなー」
「ところで、なんで俺の前に現れたんだ?」
「私が池から出たら、偶然、君がいたのさ。今夜は月が美しい」
「明日、空き缶を拾いにくるよ」
「なんで、そんな面倒くさい事をするんだ?」
「なんとなく。また会えるよな?」
「無理。ほらっ、彼女、待ってるぞ」
「さようなら」