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壁の向こう側へ

警部:あー、イタタ。
部下:どうしたんですか?
警部:机の足に小指をぶつけちまってさ。まだ痛いてえんだよ。
部下:ああ、それって痛いですよね。私にも経験があります。
警部:おまけに、痛さで飛び上がった拍子に、バランスを崩して、壁に頭をぶつけちまったんだ。最悪だ。
部下:わっ!たんこぶが出来てますよ。たんこぶ作ってる人、久しぶりに見ましたよ。あははっ。
警部:笑うな。おまえが、急いで来てくれって言うから、こうなったんだぞ。
部下:すみません。
警部:事件か?
部下:はい。くじら銀行のビルの地下に、駐車場があるんですが、そのコンクリート製の壁の中から、遺体が発見されました。
警部:発見はいつだ。
部下:昨日です。銀行の警備員が発見しました。
警部:まだ、埋まったままか?
部下:はい。
警部:身元は分かったか?
部下:銀行の近くにある会社の営業マンです。カバンが見つかっています。
警部:カバン? 壁に埋まってるヤツの持ち物だと、なぜ分かる?
部下:彼には、結婚を前提に付き合っている恋人がいるんです。壁から手だけが出ているんですが、その手の指に、彼女が一週間前にプレゼントしたばかりの指輪がはまっています。
警部:そのビルは建設中か?
部下:いえ。建設されたのは10年前です。
警部:壁を壊して埋めたのか?
部下:壁には壊した跡がありません。
警部:おかしいじゃねえか。
部下:わざわざ、他の事件で忙しい警部をお呼びしたんですよ。普通の事件の訳がないじゃないですか。
警部:悪戯なんじゃねえのか?
部下:非破壊検査をしましたが、確かに、人間が壁の中に埋まっています。
警部:どうやって埋めたんだよ?
部下:それを警部に考えていただきたいんですけど。
警部:ああ、そうか、そうだよな。よーし、灰色の脳細胞と言われている俺に任せろ。
部下:お願いします。壁には鉄筋が入ってるんですが、その鉄筋が骨と骨の間を貫通しています。つまり、建設当時に埋めても、そんな状態になりません。驚くべきミステリーです。
警部:その営業マン、どんなヤツだ?
部下:普通の会社員です。怪しい所は何一つありません。ただ、少し変わり者だったようですね。
警部:なんだそれ?
部下:超常現象にハマっていたみたいです
警部:あれっ? もしかして、おまえ、タイムスリップして、埋まったなんて事を言うんじゃねえだろうな。
部下:違いますかね?
警部:そんな事がある訳ねえだろ。
部下:ですが、他に考えられますか?
警部:おまえねえ、そんな事言ったら、もう警察の仕事じゃねえよ。
部下:そうですよね。
警部:他に何か情報はねえのかよ。
部下:そうそう、彼は毎日、昼休みになると、壁に体ごと当たっていたそうです。
警部:なんだそれ?
部下:壁を通り抜けようとしていたようですね。
警部:少しじゃなくて、だいぶ変わり者じゃねえか。壁の向こう側には何がある?
部下:銀行の金庫室です。
警部:そいつは盗みに入ろうとしてたのか?
部下:それが、彼女の父親は銀行の頭取でして、その父親は『壁を通り抜けて金庫室に入ったら娘をやる』と約束したそうです。彼は、3年間、ずっと壁に当たってたらしいですよ。
警部:なるほど。父親は無理難題をふっかけて、娘の結婚相手に相応しいか、確かめようとしたんだろう。その間、彼女はどうしてたんだ? 止めなかったのか?
部下:彼が壁を通り抜けられるように、神様にお祈りしていたそうです。
警部:バカップルじゃねえか。
部下:警部、どうです。もし誰かが壁の中に埋めたのなら、どうやったんでしょう。この謎が解けますか?
警部:なんだか、考えるのがバカらしくなっちまったよ。
部下:あっ、メールだ。なになに? げっ!
警部:どうした? 鳩が豆鉄砲くらったような顔してるぞ。
部下:それが、友人の物理学者からですが、不可能ではないそうです。
警部:なにが?
部下:ですから、壁を通り抜ける事ですよ。
警部:えっ
部下:ただし、そんな事が出来るヤツは宇宙で一人、それも一度限りだそうです。それくらい有り得ないって事ですね。
警部:もうちょっとじゃねえか。
部下:やれば出来るんですよ。きっと彼女が心の底から好きだったんですね。
警部:そういう問題かよ。いやいや、俺は信じねえぞ。それに、そんなんだったら二人が可哀相じゃねえか!
部下:壁に埋まった方法はともかく、彼は無理を承知で、3年間、壁に当たり続けたんですよ。彼女は嬉しかっただろうな。
警部:他にも、父親から信頼される方法があっただろうに。
部下:わっ! 警部、泣いてるんですか?
警部:うーっ。壁にぶつかってたヤツを想像したら、また、たんこぶが痛くなった。